シードトレーニングのビジョン
シードプログラムのビジョンは、ノードホフ医師が台湾でチームを育て上げた経験に由来する。
ノードホフが台湾に来た1959年、馬偕病院は人材不足で困難な状況に陥っていた。翌年院長に就任するノードホフは、心臓や腎臓などの専門医を米国でのトレーニングに派遣した。こうした医師が最新の技術と知識を持ち帰り、台湾の医療水準の引き上げに成功した。一般外科が専門のノードホフにとって、唇顎口蓋裂の手術は大きなチャレンジであった。ノードホフも米国に帰り、2年間で高度な技術を習得したのである。
1979年、ノードホフは長庚病院の院長に就任し、大きな目標を掲げる。それは台湾を世界で最も名高い形成外科手術の国にすることだった。自身と自慢の弟子、魏福全・陳昱瑞も、立て続けに米国形成外科学会の最高栄誉であるMaliniac Memorial Lecturerに指名された。林口長庚病院のマイクロサージャリーによる再建術は広く知られ、世界から医師がトレーニングを受けに集まるようになった。
長庚病院で現在トレーニングを受けているインド人医師Bona Lothaは唇の上の人中の溝を指し「台湾の口唇口蓋裂の子供は幸運です。長庚病院の修復技術は、普通の人より美しく、バランスの取れた唇を作ることができます」長庚病院外科部長の羅綸洲が率いるチームが、シード医師に忍耐強く、惜しむことなく最新の修復技術を伝授してくれることに非常に感謝している。
医師Lothaはイエメンで17年外科医を務めたベテランである。2003年にイエメンスマイル組織を設立し、現地の口唇口蓋裂患者を救う。無償診療の足跡はイエメン全土に及んだ。2015年1月、イエメン内戦が勃発し、爆弾16発が診療所から遠くない場所に落とされた。軍隊が大規模な殺戮を進めていた。Lothaはインド軍に助けられて、東アフリカのジブチ共和国へ逃れたが、それ以来イエメンには入れていない。
戦乱の衝撃でLothaの医師としてのキャリアは暗闇に転落し、医師を辞めて商売をすべきかとさえ考えたが、長庚で学び、医療と布教に従事した初心を思い出したという。「心は今もアラビア半島にある」と思ったのである。
長庚病院外科部長・羅綸洲は、長庚病院チームは40年の間、進化を続けてきたという。二段階でしかできなかった手術が、一度の手術で完全に形作ることができるようになった。そして、開発途上国の医療スタッフが最良の技術を学んで患者の元へ戻る手助けをしていきたいと語る。
2018年末に亡くなったノードホフ医師はかつてこう話した。「補えるものは欠陥ではない」「神がお創りになるのが間に合わなかったものは、私が愛で補修する」医療援助も然り。台湾の医療の援助の力は、必要とされる国で広がり、その力は無限大である。
馬偕記念病院がキリバスに贈呈したCTスキャナーは、太平洋諸島で初めて操作に成功したもので、現地の医療スタッフの操作訓練も行った。(馬偕記念病院国際医療センター提供)
かつてノードホフ頭蓋顔面疾患基金会の海外無償診療で唇顎口蓋裂の手術を受けたフィリピンの少年も、今では立派な若者に成長した。
神の手が届かなかったところをノードホフ頭蓋顔面疾患基金会が愛をもって補う。
シード医師のLotha(右)は、長庚病院の羅綸洲外科部長が率いる医療チームで最先端の唇顎口蓋裂の修復技術を習得した。(林旻萱撮影)
物資は乏しいが明るく楽天的なキリバスの子供たち。(馬偕記念病院国際医療センター提供)