魅力的な文化と歴史
自然景観に恵まれた澎湖だが、その文化と歴史も見落とすことはできない。馬公市の中央街を中心に伸びる「七街一市」は観光客が必ず訪れるエリアである。
中央街の先まで行くと、今は民宿に改装された中央旅社があり、ここは澎湖で最も早く開かれた旅館である。外観には今も亀の甲羅のような木の窓枠が残っている。建物は2階建てで、家主の苗字を掲げた標識が今も昔のままに残っている。さらに通りを進むと、観光客が必ず訪れる国定一級古跡に指定された天后宮がある他、この古い町並みが続くエリアには、施公廟や万軍井、四眼洞などの国定古跡もある。
陳光復知事によると、澎湖は地質的にも、文化の面でも実は台湾本島より長い歴史を持つ。オランダ人が台南の安平にゼーランジャ城を建設するより早く、実は澎湖に駐留しており、澎湖馬公の風櫃尾にはオランダ人が要塞を築いていたが、それを知る人は少ない。
その後の1624年、明朝の軍がこの要塞を攻撃し、敗れたオランダ人は明朝との話し合いを経て澎湖から台湾本島に撤退したのである。この時、彼らは要塞を取り壊して玄武岩を台南の安平に運び、それを使ってゼーランジャ城を築いた。今日、ゼーランジャ城の遺構に見られる玄武岩は澎湖から運ばれたものなのである。
4月末に開放されたばかりの国定古跡「馬公金亀頭砲台文化園区」(天南鎖鑰)も重要な歴史遺産だ。馬公金亀頭礮台は1864年に建設され、2011年に国定古跡に指定されて以来、数年をかけて修復作業が行われ、2017年1月にようやく完成した。これが一般開放され、周囲の観音亭や篤行十村、天后宮、馬公港:-区、第一、第二、第三漁港、澎湖新湾区といった観光スポットと一つのエリアを形成している。
また、新たに公開された「天南鎖鑰」では国立故宮博物院と共同で「同安・潮、ニューメディアアート展——澎湖遊」特別展が開催されている。ここではデジタルのインタラクティブな展示を通して、中国の木造帆船(ジャンク)の歴史と発展を展示している。空中プロジェクションや裸眼3D、AR(拡張現実)、Kinectを用いたインタラクティブ装置などを通して、19世紀の東アジア海洋文明の発展に触れることができる。ここを見学した後は、澎湖戦役地下坑道で澎湖四大戦役の映像も鑑賞できる。
陽光、海、砂浜と、美しい澎湖には毎年内外から多くの観光客が訪れる。その数は昨年100万人を突破し、シーズンには台湾本島から澎湖へ向かう航空チケットもなかなか手に入らない。だが、今年からは澎湖への交通手段が一つ増えた。嘉義県の布袋から澎湖馬公までの航路に続き、今年4月末には澎湖の龍門から嘉義県布袋への航路も設けられ、双方向の行き来が可能になったのである。陳光復知事によると、澎湖−嘉義の往復航路は予定より3~4年早く開通することができ、将来的には所要時間も1時間以内まで短縮される予定だと言う。
こうして観光産業の発展に力を注ぐ澎湖県だが、他の産業の発展にも目を向けている。2011年には二酸化炭素排出量削減目標を定め、クリーンエネルギー産業の発展に力を入れている。陳光復知事によると、澎湖諸島では冬に北東から強い季節風が吹き付けるため風力発電に向いており、年間3800時間分の電力がまかなえるという。日照も風力も十分な他、周辺の海流も発電に生かすことができる。
このほか、澎湖では近年、地元の農産物や海産物をそれぞれ「澎湖好『農』」「澎湖優『鮮』」という地域ブランドで打ち出しており、完全な生産履歴システムを通して、澎湖の農産物や海産物を消費者に届けている。
「澎湖では新鮮なシーフードが味わえ、数え切れないほどの景勝地があります。一回の旅行では足りません。何回でも訪れる価値があります」と澎湖の陳光復知事は胸を張って保証する。
澎湖は豊かな自然に恵まれているだけでなく、文化的景観も注目に値する。写真は二崁の伝統集落。
15年目を迎えた澎湖の花火フェスティバルには毎年多くの人が訪れる。(澎湖県提供)
澎湖県では2011年から「低炭素」を目標に掲げ、クリーンエネルギーの発展に力を注いでいる。
澎湖では地元産の海産物を「澎湖優『鮮』」というブランドで打ち出し、新鮮な魚介類を消費者に届けている。