回味老冰店

麻豆龍泉&旗山常美冰店
:::

2020 / 7月

文‧曾蘭淑 圖‧林旻萱


沒有華麗的裝潢,卻有新鮮熬煮的配料;沒有強力的冷氣放送,卻有甜蜜的透心涼。走一趟位於麻豆、旗山鄉間的老冰店,「呷」一碗冰,體驗質樸的古早味、懷舊的人情味,清涼一夏!


時間的更迭讓台南麻豆中央市場從繁華轉為蕭條,隱身在市場內的龍泉冰店卻仍吸引著舊雨新知前來吃冰,它歷久不衰的秘訣在那裡?而高雄旗山常美冰店,曾歷經兩次翻新,卻依舊維持老店純樸的味道,走過歲月的洗禮,能夠不被景氣淘汰,是什麼樣的力量,讓老冰店歷久彌新?

七點吃冰當早餐

夏天天亮得早,龍泉冰店第三代的媳婦朱淑美凌晨六點早已開始備料,她雙手握著扁平的長棒,快速又俐落地往大鍋裡「舂」(搗的動作,閩南語讀音為tsing),高溫烹煮的黑糖粉漿,不斷冒著深琥珀色的泡泡,好似小型的火山噴發,這時火候若是拿捏不好,以蕃薯粉為底的粉漿可能結塊或燒焦,冷卻後,就是彈Q綿密的黑糖粉粿。

農忙時節,七點就有客人上門吃冰,因為一早五點就已到田裡,八點工作告一段落,正是烈日當頭,來龍泉吃一碗粉粿愛玉冰,不僅「止喙焦」(閩南語止渴之意),還有飽足感,就像吃早午餐。第二波客人是到市場買菜的家庭主婦,外帶秤斤賣的愛玉、粉粿,回家自製甜湯。

朱淑美一邊不停歇地熬煮紅豆、芋頭,一邊說著:「粉粿中加入黑糖,對烈日下大汗淋漓耕作的農民來說,還有退火的功效。我們的黑糖粉粿,用的是新竹寶山的紅糖,基底蕃薯粉是100%純的地瓜粉,不像坊間還會添加樹薯粉或是食品添加物,這是粉粿軟又Q的秘密。」因為用料實在,客人吃完冰,還會進一步買白糖、黑糖、愛玉子等原料回家。 

老客人上門會說一聲:「加粉。」加粉?原來是要在剉冰或湯圓中加入麵茶粉。這也是龍泉剉冰充滿古早味的特色,剉冰的許多配料都是澱粉製作的,朱淑美解釋:「以前缺衣少食的年代,由於什麼材料都沒有,地瓜最多,用蕃薯粉作成粉粿、粉條,用麵粉作成麵茶,作為剉冰的配料,對從事農作的人來說,吃冰消暑,還可以吃飽。」

棄學業接老店,傳承家業

龍泉已有近百年的歷史,第一代楊井年輕時,用扁擔挑著擔子,跟著野台戲班到各鄉鎮的庄頭賣清冰,結婚後,陸續生了二子六女,於是改推著攤子在麻豆光復路的市場前賣刨冰,冬天兼賣蚵嗲與圓仔湯,客人都叫他「蚵嗲井仔」,或是「賣冰井仔」。

1951年政府興建了麻豆中央市場,楊井把店開在中央市場內,由於他當時住在麻豆龍泉里,因此店名取為「龍泉」。

除了賣冰,楊井還兼做賣糖生意。這是因為台灣光復後,台糖公司為鼓勵農民繼續種植甘蔗,在1946年實施「分糖制度」,農民可以將甘蔗送交糖廠壓榨後,所分得的糖換成「寄存棧單」,到市面轉售成現金。由於麻豆陽光充足,又佔烏山頭水庫與嘉南大圳灌溉的地利之便,源自日治時期明治製糖會社的總爺糖廠,製成的糖晶亮濃郁,遠從豐原、彰化製餅業者皆指定要總爺糖廠的糖,楊井收購棧單買糖後,經常帶著兒子、捆工送糖到中部,生意興隆,直至棧單制度沒落。

1956年楊井想要退休,原來的蚵嗲冰店就由大兒子楊清貴繼承。次子楊清發為了自立門戶,向已成家立業的大哥借了錢,標會在市場內開了另一家冰店。但債務纏身的楊清發,憂悶的躺在床上,對著剛高中畢業的兒子楊海龍嘆氣,手勢比出「五」,要兒子至少在家裡幫忙五年。

楊海龍最後選擇放棄學業,幫爸爸還債,立下「一定要成功」的志願,勤勞的他一早四點起來幫媽媽洗愛玉、煮粉粿,幫助弟妹念到大學,也讓冰店的生意逐漸上軌道。

古樸的店景,實在的滋味

五年的時光,楊海龍不僅幫忙還清了債務,又在中華電信找到工作,孝順的他一早備好料,七點去上班,下班後再幫媽媽炒麵茶。

他的勤懇也反映在配料的製程與用料上,例如選購阿里山產的愛玉子,雖然成本高,但洗好的愛玉凍品質穩定。對原料的堅持,從湯圓也吃得出來,這幾年來,許多湯圓店為貪便宜或便利,用進口糯米或糯米粉,楊海龍卻仍堅持按照第一代的作法,只用台灣出產的糯米來做湯圓,從洗米、熬成米漿,脫水作成乾粉糰(又稱粿粹),再揉成糯米糰,每年客人都等著國慶日一到,龍泉開賣彈Q的湯圓。

還有麵茶也是慢工細活,一袋十公斤麵粉,一次約炒五公斤左右,必須慢慢放入炒鍋中,炒製四、五個小時。這些配料的製作,十分費工,每一天都要重複瑣碎、繁複的流程,才能熬煮出新鮮、實在的配料。勤懇的堅持,成為老店長青的秘訣。

也因這種樸實無華的味道,吸引電視影集「想見你」借此店場景,拍攝莫俊傑奶奶的古早味冰店。「想見你」火紅後,龍泉冰店成為「觀光景點」,不少追劇粉絲來此打卡、朝聖,在新冠肺炎防疫期間,小鎮卻出現排隊風景。

楊海龍四年前從中華電信退休,冰店也逐漸交班給兒子楊竣翔。「兒子像我們家的衛生股長,在防疫期間,要求客人一定要戴口罩才能點冰。」楊海龍肯定兒子的用心,可以成為老店接班人。

麻豆中央市場歷經二次火災,也讓陳舊的市場更將傾頹,近年來面臨拆遷問題。楊竣翔說:「我們已尋覓好地點,但對許多老客人來說,老店保留了許多回憶;曾經阿公帶著孫子,現在這個孫子又帶著阿孫,一定要坐在昔日的那個老位子,因此希望為老客人開店到真正要拆遷之時再搬。」朱淑美在旁溫柔地支持著兒子的決定,「真材實料,我相信,再一百年都不會被淘汰!」

常美冰店,講法語、義大利話嘛ㄟ通

高雄旗山五保的街上,紅瓦斜屋頂的常美冰店,被炙熱的陽光曬得發亮。印尼的移工陪著雇主來吃冰,第二代老闆郭國格用印尼話與移工聊了起來;美濃的「香蕉與黑膠三合院民宿」特別推薦法國籍的客人騎腳踏車來吃冰,因為不用比手劃腳,會說法文的老闆可以幫忙點冰吃;聖若瑟天主堂的義大利神父也喜歡來串門子,原來第三代女兒義大利話說得溜;當然說英語也沒有問題,常美冰店還拿過行政院「英語服務標章」。這家鄉下冰店,讓老外很驚訝,怎麼這麼國際化!

原來第二代的老闆郭國格是文化大學法文系畢業,18年前自中華航空退休,接下老店。但他在華航時,派駐過印尼,到過最熱的沙烏地阿拉伯、最冷的阿拉斯加,人生閱歷豐富;會說義大利話的是曾到米蘭學過設計、郭國格的女兒郭怡伶。

促使郭國格54歲時提前退休,是因為父親過世時,當時派駐在地球之極安克拉治,有著來不及回來看父親最後一面的遺憾。休假回鄉時,又心疼媽媽與妹妹辛苦守著老冰店,「錢賺再多也沒有用」的反省,決定返鄉幫忙。

但是從派駐國外,有司機、坐著雪弗蘭轎車上班的經理,到穿著膠鞋,靠體力勞動煮紅豆湯、做冰棒的冰店老闆,郭國格說:「就是做什麼工作就像什麼。」他回憶當初在第二次波灣戰爭期間,派駐沙烏地阿拉伯,身處戰地,戰機整天在上空盤旋,街上都是美軍,座位後方還放著預防化學武器的防毒面具,他也一樣捨命陪公司,駐守戰地,「賣冰算不了什麼!」

開店還債,三代傳承

郭國格透露,他原先是想回家幫忙,卻是媽媽反過來幫他,每天總是提前備好料、熬好紅豆、芋頭,來讓他賣冰。

94歲的郭李常美聽到兒子的話,搖著手說:「兒子回來幫了很多忙。」彼此體貼的心溢於言表。事實上,郭家小孩是從小幫到大,尤其是大女兒郭素雲,從念夜校下課,到財團法人香蕉研究所工作下班後,店裡都有她端著冰碗的身影;連現在退休了,還是在分店幫著忙。這家位於美濃,有著庭園造景的分店,是郭李常美86歲時所開,還新增加了杏仁豆腐、豆漿口味的冰淇淋等新產品。

老阿嬤有著驚人的生意頭腦與動力,她笑著解釋說:「之前想說要退休、去旅遊,但哪有一年365天都在旅遊的!」還是賣冰比較實在。

其實,常美冰店與史料記載台灣最早發明枝仔冰的「旗山枝仔城」有血緣關係。旗山枝仔冰創辦人鄭城,與郭李常美的丈夫郭正輝是同母異父的兄弟。郭正輝成年自立後,與親友在旗山街上開了麻油廠,由於早期生活清貧,太太郭李常美為了貼補家用,1945年就在家裡開了雜貨店,賣金紙、麻油、味噌,連帶也賣紅茶、冬瓜茶等涼水。

不料郭正輝為友人作保,受到連累欠了債,郭家房子被貼上封條,郭李常美為了還債賣起枝仔冰,還在房子後面養豬,增加收入。1966年兒子要去念大學,還得賣豬籌措學費,想起先前艱苦的日子,老人家努力止住眼中的淚水。

漸漸地還完債,累積了積蓄,1982年郭李常美大膽投資數十萬元,購買冰淇淋機,善於創新的她還開發冰棒口味多達16種,現在冰店牆上琳瑯滿目30多種的冰品,都是她開發的。經常一群實踐大學的學生衝到店裡吃冰,剛好香蕉清冰賣完了,郭李常美閃進冰店後方,旋即做好清冰出來。有次她用冰杓挖出一球五顏六色、綜合口味的冰淇淋,加上一球清冰、紅豆芋頭等配料,讓學生誇讚她,好像是變魔術一樣,「魔法阿嬤」名聲也不脛而走。

老店的續航力

常美冰店2003年獲得統一超商設立的好鄰居文教基金會青睞,加入「老店大翻新」計畫,翻修老店,在媒體報導的曝光下,為老店帶來全國的知名度。

反倒是「走遍世界」的第二代郭國格,守著母親的配方、做法,沒有改變,只是隨著科技的進步,將製作冰棒的機器改為半自動,例如現在可由機器代勞充填、拔冰。郭國格說:「過去我的母親都用雙手來搬動冰桶,多年來,出力的食指、大姆指都已變形。兒子郭人豪想出在冰桶上加一個提手,簡單的設計,省力又好操作。」

郭人豪2009年自台南藝大畢業那年,旗山因八八風災,水淹及膝。學紀錄片出身的他回憶說:「第一件事不是先救災,而是拿起相機作紀錄。」由於位於旗山郵局對面的分店被淹掉,家裡需要幫忙,郭人豪因而留在旗山接班。

郭人豪與姐姐郭怡伶運用阿嬤剷冰的意象,加入設計元素,重新裝修老店。坐在老店,吃著甜蜜細緻的清冰,感受悠閒的鄉間風情,時間也在此定格。                                              

相關文章

近期文章

日本語 EN

懐かしい老舗の味

麻豆龍泉と旗山常美の「かき氷」

文・曾蘭淑 写真・林旻萱 翻訳・山口 雪菜

店内に華やかな内装はないが、作りたての新鮮なトッピングがそろっている。冷房が特に効いているわけでもないのに、なぜか甘さと冷たさが心にしみる。台南麻豆と高雄旗山にある老舗のかき氷店で、昔懐かしい素朴で人情味あふれるかき氷を食べれば、暑さも吹き飛ぶことだろう。


朝7時、朝食にかき氷

台南麻豆の中央市場に昔のようなにぎわいはないが、その中にある龍泉氷店を訪れる客は後を絶たない。高雄旗山にある常美氷店は、これまで二度にわたってリニューアルしたが、昔からの素朴な味は変わらない。歳月を経ても変わらずに人を惹きつける魅力はどこにあるのだろう。

夏は夜明けが早い。龍泉氷店の三代目の嫁である朱淑美は朝6時から仕込みを始める。鍋の中でマグマのように煮えたぎった琥珀色の液体をへらでかき混ぜ続ける。火加減に注意しなければ、なべ底の澱粉がすぐに固まって焦げてしまう。これを冷ましたら、もちもちの黒糖粉粿(サツマイモの澱粉で作ったゼリー)ができあがる。

農繁期には朝7時からお客がかき氷を食べに来る。農家は朝5時から畑に出て、一段落したら粉粿をのせた愛玉(アイギョクシという果実のペクチンで作ったゼリー)かき氷で身体のほてりを冷ましに来るのである。冷たいだけでなく、お腹もいっぱいになる。次にやってくるのは市場へ買い物に来た主婦たちで、愛玉や粉粿を量り売りで買い、家でシロップをかけて食べる。

朱淑美は、小豆やタロイモを煮ながら、「黒糖入りの粉粿は、身体のほてりを冷ます効果があります。多くの店ではタピオカの粉や食品添加物を使っていますが、うちは新竹宝山の黒糖と100%のサツマイモの澱粉を使っています。これが柔らかくてもちもちの秘訣です」と言う。

常連客は「粉を入れて」と注文する。かき氷や白玉に麺茶(麦こがし)を振りかけるのである。これも龍泉氷店の昔ながらの特色の一つだ。かき氷のトッピングの多くは炭水化物だが、「貧しかった時代、食べるものはサツマイモしかなく、サツマイモの澱粉で粉粿や粉条を作り、麦で麺茶を作ってかき氷にのせたのです。これで農家の人々は、涼をとるとともにお腹も満たせました」と朱淑美は説明する。

進学せずに店を継ぐ

龍泉氷店には百年近い歴史がある。初代の楊井は若い頃から天秤棒を担いでかき氷を売っていた。野外で芝居をする旅芸人についてまわり、かき氷を売っていた。結婚すると二男六女の父となり、今度は台南麻豆の光復路にある市場の前に屋台を出した。冬は、粿蚵嗲(牡蠣のかき揚げ)や甘い団子汁を売って客に親しまれた。

1951年に麻豆に中央市場ができると、楊井は市場内に店を出した。当時、彼は麻豆の龍泉里に住んでいたことから「龍泉」を店名とした。

かき氷のほかに砂糖も扱った。台湾では戦後、台湾糖業がサトウキビ栽培を奨励し、1946年には「分糖制度」が始まり、農家はサトウキビを製糖工場に納めると、報酬を砂糖引換券に換え、それを販売して現金を得ることができた。麻豆のサトウキビは質が良いため日本時代の明治製糖総爺工場の砂糖は評判が良かった。戦後も遠く豊原や彰化から総爺工場の砂糖を求めてくる業者が多く、楊井が扱う引換券が良く売れたのである。

1956年、楊井は店を長男の楊清貴に継がせた。次男の楊清発は自分で商売を始めようと、長兄からの借金と頼母子講で得た資金で市場内で別のかき氷店を始めた。だが借金を背負った彼は寝込んでしまい、高校を出たばかりの息子‧楊海龍に5年間店を手伝ってほしいと頼んだ。

楊海龍は悩んだ末、学業をあきらめて父の店を手伝いながら借金を返す決意をする。「必ず成功する」と決意し、朝4時から母親の仕込みを手伝い、弟や妹を大学まで行かせ、かき氷店の商売も軌道に乗せたのである。

昔懐かしい店の風情

5年後、楊海龍は店の借金を返し終え、中華電信に就職した。それでも親孝行な彼は、早朝から店の準備を手伝い、7時に出勤し、退社後も母の商売を手伝った。

彼は食材や作り方にもこだわった。愛玉には阿里山産のアイギョクシを用いた。原価は高くつくが、品質は安定している。白玉団子も、多くの店では輸入のもち米や上新粉などを使っているが、楊海龍は創業当初の方法に倣い、台湾産のもち米だけを使ってきた。

麺茶にも手間をかける。5キロの麦粉を4~5時間もかけてじっくり炒る。かき氷のトッピングにこれだけ手間をかけ、それを毎日繰り返して新鮮なものを提供するのである。

麻豆中央市場は二度の火災に見舞われ、今は取り壊しと移転の話も持ち上がっている。「もう移転先も決めたのですが、古い常連さんの中には、お爺さんからお孫さんの代まで、いつも同じ席に座る方もいるので、取り壊しの日までここで営業を続けます」と息子の楊竣翔は言う。朱淑美は息子の決定を支持し、「良い食材にこだわっているので、店は今後百年も安泰です」と言う。

仏語、伊語も通じる常美氷店

高雄旗山の五保の通り沿いに、赤い瓦屋根の常美氷店がある。インドネシア人の介護労働者に付き添われた高齢者がかき氷を食べに来ると、二代目の郭国格はインドネシア語で話し、高雄美濃の「香蕉与黒膠三合院民宿」で薦められて自転車で来たフランス人にはフランス語で対応する。聖若瑟天主堂のイタリア人神父もよくやってくる。三代目の娘がイタリア語が堪能だからだ。もちろん英語も問題ない。常美氷店は行政院から「英語サービス標章」を得ているのだ。この田舎のかき氷店を訪れた外国人は皆驚かされる。

実は二代目の郭国格は文化大学フランス語学科の出身で、18年前に中華航空を退職して店を継いだ。航空会社にいた時にインドネシアやサウジアラビア、アラスカに駐在したこともある。イタリア語が堪能な娘の郭怡伶はデザインの勉強のためにミラノに留学していた。

郭国格が54歳で退職したのは、アンカレッジに駐在していて父親を看取ることができなかったからだ。帰郷した時に、母親と妹が店を懸命に守っているのを目にし「お金だけ稼いでも意味がない」と考え、故郷へ帰る決意をした。

三世代で守る店

郭国格は帰省して家の仕事を手伝おうと思ったのだが、かえって母親に支えてもらうことになったと言う。母親が毎日、小豆やタロイモを仕込んでくれたのである。

94歳の郭李常美は息子がこう話すのを聞いて、首を振り「息子はよくやってくれています」と言う。互いの思いやりが伝わってくる。

この老婦人は、実は商売に機転が利く。「しばらく前は、隠居して旅行に行きたいと思ったんですが、365日旅行するわけにもいかないでしょう」と言い、それで店に出ていた方がいい、と考えるようになったそうだ。

実は常美氷店は、台湾で最初にアイスキャンディを作った歴史に記載されている「旗山枝仔城」と親戚関係にある。旗山枝仔城の創設者‧鄭城は郭李常美の夫である郭正輝と異父兄弟なのである。郭正輝は一人立ちすると、家族とともに旗山にゴマ油の工場を開いた。最初は貧しかったが、妻の郭李常美が家計の足しにと、1945年に雑貨店を開いてゴマ油や味噌などを扱い、続いて紅茶や冬瓜茶などの冷たい飲み物も売り始めた。

ところが、郭正輝が友人の保証人になって債務を負い、郭家の自宅も差し押さえられてしまった。そこで郭李常美は夫の異父兄弟である郭城の協力を得てアイスキャンディを売り始め、豚を飼って収入を増やした。1966年、息子の大学進学の際には、豚を売って学費に当てた。当時の辛い日々を思い出すと老婦人の目に涙が浮かぶ。

こうして少しずつ借金を返し終えると、貯金も溜まっていった。そして1982年に郭李常美は大胆にも数十万元を投じてアイスキャンディ製造装置を購入したのである。イノベーションに長けた彼女は、16種類ものアイスキャンディの味を作り出した。現在は30種のフレーバーが貼りだされているが、それも郭李常美が開発したものだ。

老舗の継続力

常美氷店は、2003年に統一超商が設立した好隣居文教基金会の目に留まり「老舗リニューアル」プランに加わった。これが報道され、この老舗の知名度は全国に広がった。

だが、「世界を渡り歩いてきた」郭国格は、母親のレシピや味の配合を固く守っている。ただテクノロジーは進歩し、アイスキャンディ製造機は半自動になった。「以前、母は手で氷桶を運んでいたので、人差し指と親指は変形してしまいました。息子の郭人豪は桶に持ち手を付け、おかげで作業が楽になりました」と言う。

郭人豪が台南芸術大学を卒業した2009年、旗山地域は八八水害(台風8号)で膝まで水に浸かり、支店も被害に遭ったため、彼は家に戻って跡を継ぐことを決意した。

郭人豪と姉の郭怡伶は、祖母のかき氷のイメージをデザインに取り入れ、古い店をリニューアルした。その店内に座り、甘くて繊細な氷を食べれば、田舎ののんびりした風情が感じられ、そのまま時間が止まったかのように感じるのである。

Vintage Flavors

Shaved Ice in Madou and Qishan

Esther Tseng /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by Brandon Yen

They don’t boast splendid furnishings, but they do offer freshly prepared ingredients. Don’t expect super-powerful air conditioning there, but be prepared for a sweet and invigorating coolness. Come and visit the old shaved ice shops of Madou and Qishan. Enjoy a bowl of ice and experience authentic vintage flavors and downhome hospitality. What better thing to do on a hot summer’s day?


Shaved ice at 7 a.m.

The sun rises early in summer. At six o’clock, Zhu Shumei, whose husband is the third-generation owner of Longquan Ice Shop, is already busy preparing ingredients. Grasping a long spatula with both hands, she stirs and beats the thick sweet potato and brown sugar batter in the piping hot wok with deft, practiced strokes. The bubbles bursting out of the boiling amber mixture look like a ­series of tiny volcanic eruptions. After the mixture cools, what you have is a firm, springy jelly with an al dente bite. 

At this busy time of the farming year, customers begin arriving for their shaved ice as early as 7 a.m. Farmers start to work in the fields at five, and by eight the sun is blazing. Coming to Longquan for shaved ice with sweet potato and aiyu jellies not only quenches their thirst but also allays their hunger. It’s like having brunch.

While busily cooking adzuki beans and taros, Zhu says: “The brown sugar in our sweet potato jelly helps farmers withstand the heat at this time of year. We use brown sugar from Baoshan in Hsinchu County. The starch we use for the jelly is all made from sweet potatoes, without tapioca or other additives you’re likely to come across elsewhere. That’s why our jelly is soft yet slightly firm to the bite.”

Carrying on the family business

Longquan Ice Shop is almost a century old. In his youth, first-generation owner Yang Jing traveled around the country­side with theater troupes, carrying his ice on a shoulder pole and hawking it on village squares where performances took place. He later married and fathered two sons and six daughters. After marrying, he set up a shaved ice stall in front of the Guangfu Road market in the town of Ma­dou (now a district of Tainan City). In winter, he sold oyster fritters and glutinous rice balls in warm syrup. His custom­ers called him “Oyster Fritter Jing” or “Shaved Ice Jing.”

In 1951, the government established Madou’s Central Market, where Yang opened a shop. Because his family lived in Madou’s Longquan Village, he named his shop “Long­quan.”

When Yang retired in 1956, his eldest son Qinggui took over the oyster fritter and shaved ice shop. To set up his own business, Qingfa, the second son, borrowed money from his elder brother, whose family was already enjoying a stable income. He used the money to invest in a rotating savings group and opened another shaved ice shop in the market. But he remained burdened with debt. When his son Hailong graduated from senior high school, the father, lying ­despondently on his bed, spread out the fingers of one hand to gesture “five,” meaning that Hailong should spend at least five years helping him with the family business.

In the end, Yang Hailong gave up his studies to help his father repay his debts. Vowing to prosper one day, he rose at four every morning to help his mother out by kneading aiyu (jelly-­fig) seeds and making sweet potato jelly, so that his younger siblings could attend university.

Old-time atmosphere, authentic flavors

The business gradually got on track, and within five years Yang Hailong not only fully repaid the debts but also found a job at Chunghwa Telecom. A dutiful son, he continued to help prepare ingredi­ents for the shop each morning before going to work at seven. After work, he’d return home to roast wheat flour for his mother. 

Each batch of flour took four to five hours to roast, and every ingredient sold at the shop required a lot of labor to prepare. Only by repeating complex and tiring procedures day after day could they carry on offering fresh, authentic flavorings to their customers. It’s thanks to this perseverance that the old shop enjoys its success today.

Madou’s Central Market has been through two fires, which makes the antiquated place look even more dilapidated. Facing demolition and relocation, Yang Hailong’s son Junxiang says: “We’ve found a new place, but many of our old customers have fond memories here. We have people who were brought here by their grandparents when they children, who nowadays come with their own grandchildren, and they insist on sitting at their old table. So we’re staying on here for the sake of our loyal customers, and we won’t move until we really have to.” His mother, Zhu Shumei, gently expresses her approval: “We’re the real thing. I believe the shop will still be open in a hundred years’ time.”

A polyglot small-town shop

The red tiles on the pitched roof of the shaved ice shop Charng Mei shine under the blazing sun in a historic neighborhood of Kaohsiung’s Qishan District. Indonesian workers come here to enjoy frozen desserts with their employers; second-­generation owner Michel Kuo chats with them in Indonesian. French tourists cycle here, clued up by their hosts at Meinong’s Yellow and Black Guesthouse; they don’t have to use body language to order their ice because the owner understands French. The Italian priest at St. Joseph’s Catholic Church likes to visit the shop too; it turns out that the owner’s daughter speaks fluent Italian. Of course, English is also spoken here: Charng Mei has received an “English Service” mark from the Executive Yuan. Overseas visitors never cease to wonder at this international small-town shop.

Second-generation owner Michel Kuo has a degree in French from Chinese Culture University. He retired from China Airlines 18 years ago to run the shop. While working for the airline, he was stationed in Indonesia, as well as some of the world’s hottest and coldest places: Saudi Arabia and Anchorage, Alaska. The Italian speaker at the shop is Kuo Yiling, who studied design in Milan.

Michel Kuo decided to retire early at the age of 54 when his father passed away while he was working in faraway Anchorage. He regretted not being able to return to Taiwan to say his final goodbyes to his father. When he eventually came back on holiday, he was saddened to see his mother and younger sister struggling to keep the old shop afloat. Realizing that “money can’t buy everything,” he decided to come home to help.

Paying off family debts

Kuo admits that although he origin­ally wanted to come home to help his mother, it’s she who has been helping him out, preparing ingredients every morning and cooking adzuki beans and taros for him to serve with shaved ice.

Kuo-Li Charng Mei, who is 94, disagrees with her son: “He has been a tremendous help since he came back.” You can feel the mutual care and love in their interactions.

The old lady has an astonishing sense of purpose and business acumen. She smiles and says: “I used to talk about retiring and going on tours. But you can’t be a tourist ­every single day, can you?” She feels better selling frozen desserts.

In 1945, Kuo-Li opened a grocery store in her house, selling joss paper, sesame oil, and miso, as well as black tea, wax-gourd syrup, and other cold drinks.

However, her husband Kuo Cheng-hui stood surety for a friend and became enmeshed in debt, and the court seized their house at one point. Kuo-Li started selling pop­sicles to repay the debts and even kept a pig behind the house to supplement the family income. In 1966, to send her son to university, she had to sell the pig to scrape together the money for his tuition fees. She struggles to hold back tears as she recalls those difficult days.

The debts were gradually cleared up, and they eventually accumulated savings of their own. In 1982 Kuo-Li made a bold investment, spending hundreds of thousands of NT dollars on an ice cream machine. Her innovative mind also came up with as many as 16 different flavors of popsicles. The dazzling array of frozen desserts listed on the wall—numbering more than 30—are all her ­inventions.

Both old and new

In 2003 Charng Mei was chosen by Uni-­President Enter­prises Corporation’s Good Neighbor Foundation to take part in a program to “rescue” shops that were more than 30 years old. The project helped renovate the old shaved ice shop and media coverage brought it national fame.

Despite the shop’s new looks, the “globetrotting” second-generation owner Michel Kuo has been entirely faithful to his mother’s recipes and methods. But the old popsicle machines have been converted to semi-­automatic operation, reflecting technological advance: the machines take over the tasks of filling the molds and ejecting the popsicles. Kuo says: “My mother used to move the ice tubs with both hands. Over the years, her thumbs and index fingers became deformed. My son Renhao came up with the idea of attaching handles to the tubs. His simple design makes them much easier to move now.”

Kuo Renhao came back home to help in the shop after graduating from Tainan National University of the Arts in 2009. Inspired by an iconic image of their grandmother mixing ice with a spatula, he and his sister Yiling have drawn on their artistic talents to give the old shop a makeover. While you’re sitting here enjoying a bowl of soft, sweet ice, the leisurely atmosphere of the little town washes over you, and time itself seems to stand still.   

X 使用【台灣光華雜誌】APP!
更快速更方便!